デザインは誰のためにある?プロの専門性と「人を惹きつける力」を考える

SI — Structural Intelligence

デザインの話をしていると、たまに不思議なことがある。色の使い方が違う、余白の取り方が違う、フォントの選び方が違う、レイアウトの理論に沿っていない。もちろん、そういう指摘には意味がある。デザインには、見た目を整えるための知識もあれば、情報を伝えやすくするための理論もある。僕だって、目的もなく適当に並べればいいと思っているわけではない。ただ、そこで少し引っかかることがある。そのデザインの評価基準は、本当に「誰かのため」になっているのだろうか? デザインの知識を持っていることと、デザインの価値をすべて判断できることは、同じではない。今回は、そんな話。これはデザイン業界だけの話ではなく、仕事の仕方にも、専門家と呼ばれる人の姿勢にも、つながっている話だと思っています。

目次

デザインは何のためにあるのか

デザインを学ぶ、配色を考える、文字の大きさを調整する、ブランドの世界観を統一する、使いやすさを検証する。どれも大切なことだ。でも、それらは本来、目的を達成するための手段ではないだろうか。例えば、お店のチラシをつくる。目的は、きれいなチラシを完成させることなのか。それとも、お店の存在を知ってもらうことなのか。商品に興味を持ってもらうことなのか。来店や購入につなげることなのか。目的が違えば、必要なデザインも変わる。高級感を伝えたいなら余白や文字の選び方が重要になるかもしれない。子ども向けのイベントなら、楽しさや親しみやすさが大切になるかもしれない。緊急のお知らせなら、世界観の統一よりも、必要な情報が一瞬で伝わることを優先すべきかもしれない。目的が変われば、正解も変わる。だから、デザインを評価するときは、見た目だけでなく「何を実現するためにつくられたのか」まで考える必要がある。美しいことと、使いやすいこと。目立つことと、信頼されること。売れることと、長く愛されること。これらは重なることもあるけれど、いつも同じ方向を向いているわけではない。だからこそ、デザインの良し悪しを、ひとつの物差しだけで決めるのは難しい。……というか、何でもひとつの物差しで測ろうとすると、だいたい何かを見落とす。人間、定規一本で生きていけるほど単純ではないので。

人が好きになる理由は、理論だけでは説明できない、という点も考えたい。見た目は完璧ではない、色の組み合わせも教科書どおりではない、レイアウトもプロが見れば直したくなるところがある。それなのに、なぜか気になる、なぜか好きになる、なぜか誰かに教えたくなる。見た瞬間に心をつかまれる、作り手の人柄や熱量が伝わってくる、完璧ではないけれど独自の魅力がある、自分の感情や価値観にぴったりハマる。こうした魅力は、デザイン理論だけでは測りきれない。もちろん、人気があるから優れたデザインだ、と単純に決めることもできない。反対に、目立たないデザインにも価値はある。迷わず操作できる予約画面、必要な情報をすぐに見つけられるホームページ、余計な装飾がなく仕事を邪魔しない業務システム。こうしたデザインは、目立たないからこそ成功している場合もある。重要なのは、そのデザインが、誰にとって、どんな価値を生み出しているのか。ここを見ずに、見た目だけで評価するのは、ちょっともったいないと思う。

専門知識があることと、他人の価値を決められることは違う

デザインを専門的に学んだ人には、専門的に学んだからこそわかることがある。配色のバランス、視線の流れ、文字の可読性、情報の優先順位、ブランドの一貫性。経験を積んだ人ほど、見ただけで気づく問題も増えていく。それは立派な専門性だし、仕事に活かすべき知識だと思う。ただし、専門知識があることは、自分の評価基準だけで、他人の価値まで決めていい理由にはならない。

例えば、専門家がある作品を見て「この配色は理論的に適切ではない」と判断したとする。その指摘自体は正しいかもしれない。でも、その作品が、つくり手の意図どおりに人の心を動かしているとしたら? 特定の人たちに強く支持され、商品が売れ、ファンが増え、作り手の活動を支えているとしたら? そのとき、配色の理論に合っていないことだけを理由に「価値がない」とまで言えるだろうか。問題点を指摘することと、相手の成果を見下すことは違う。改善を提案することと、自分の基準を唯一の正解にすることも違う。この区別が曖昧になると、専門知識は人を助けるための道具ではなく、人を評価するための武器になってしまう。

プロの仕事は、素人を見下すことではない。自分の知識や経験を使って、相手だけでは解決するのが難しい課題を解決することだ。例えば、ホームページをつくりたい人がいる。その人はデザインの理論を知らないかもしれない。でも、その人には、その人にしかわからない商品への思いがある。お客さんとの関係がある。何を大切にして商売をしてきたのか、という背景がある。専門家が持っているのは専門家としての知識や技術。依頼する人が持っているのは、事業そのものの知識や経験。どちらか一方が全面的に優れているわけではない。本来、専門家がするべきことは、相手の考えを理解する、目的を整理する、専門知識を使って選択肢を示す、必要な改善を理由とともに提案する、そして相手が目的を達成できるように支援すること。専門家の価値は、知識をどれだけ持っているかだけでは決まらない。その知識を使って、相手にどんな価値を提供できるか。そこにこそ、仕事としての意味がある。

「素人がつくったもの」に、人を惹きつける力があったなら

専門的な知識を持たない人が何かをつくり、それが思いのほか多くの人に支持される。商品が売れる、ファンがつく、誰かの記憶に残る。そのとき、専門家はどう考えるべきだろう。「理論に合っていないから、正しくない」と切り捨てるのか。それとも、「なぜ、この人たちは惹きつけられているのだろう」と考えるのか。僕は、後者のほうがずっと面白いと思う。もちろん、人気があるものを無条件に正解にする必要はない。使いにくさがあれば改善できるし、情報が伝わっていないなら整理する余地もある。でも、すでに人を惹きつける何かがあるのなら、それを理解することから始めてもいいはずだ。その魅力は作り手の人柄なのか、商品への思いなのか、意外性なのか、受け手の価値観と一致しているからなのか。そこを理解したうえで、専門知識を使ってさらに伝わりやすくする。それができれば、専門性は相手の魅力を消すものではなく、魅力を届けるための力になる。

AIの時代に、デザインの価値はどこへ向かうのか、という問いもある。少し前まで、ある程度のデザインを形にするには、専用のソフトを使いこなす技術や制作経験が必要だった。今でも専門的な制作技術が必要な場面は多い。ただ、少なくとも一部の制作作業については、AIによって実現するハードルが下がってきている。専門的なソフトを使えなくてもアイデアを形にできる。デザインの経験が浅くても複数の案を比較できる。でも、ここで「誰でも簡単につくれるようになったのだから、プロは不要だ」と考えるのも、少し違う。反対に、「AIでつくったものは本物のデザインではない」と一括りにするのも、乱暴だと思う。大切なのは、制作手段だけで価値を決めないことです。何をつくるべきなのか、誰に届けたいのか、どの案が目的に合っているのか。たくさんの案を出せることと、その中から目的に合う案を選べることは違う。だから、これからの専門家には、制作技術だけではなく、課題を見つける力、判断する力、相手の意図を理解する力、実際の成果につなげる力が、ますます重要になるのではないでしょうか。

まとめ

僕が気になっているのは、デザインの正解よりも、その姿勢です。知識も技術も経験も大切だ。僕が違和感を覚えるのは、専門知識そのものではなく、専門知識を持っていることを、他人より上に立つための資格のように扱ってしまうことです。自分の基準に合わないものを考える前に切り捨てる、相手の目的を聞かずに見た目だけで評価する、成果や反応を確認せずに自分の理論だけで正しさを決める。そうした姿勢があるとしたら、少し立ち止まって考えてみたい。その知識は、誰のために使っているのだろう。専門性は、相手を黙らせるためではなく、相手にできることを増やすために使いたい。これは、僕自身にも向けている言葉です。人は責めない。でも、問題の構造は整理する。それが、僕なりの仕事の仕方だ。

デザインは、専門家が正解を決めるためだけにあるのではない。つくり手の思いを伝え、受け手に価値を届け、目的を実現するためにある。最後に、ひとつだけ。もし誰かのつくったものを見て「これはデザインとして正しくない」と思ったら。その判断を口にする前に、少しだけ考えてみてほしい。そのデザインは、何を実現しようとしているのだろう。そして、自分の専門知識を使えば、その人の目的をもっと実現しやすくできるだろうか。そこまで考えられたら、専門性はもっと人の役に立つはずだ。……まあ、僕も偉そうなことを言いながら、日々勉強です。人は責めない。構造はバッサリ。

※この記事は、特定の誰かや作品を否定するためのものではありません。デザインの評価基準と、専門性の活かし方について考えた個人的な意見です。

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