経験年数が長い人ほど気をつけたいこと|自分の正しさを守ると、否定した相手と同じになる

SI — Structural Intelligence

仕事をしていると、こんな言葉を聞くことがあります。「こっちは何年もやってきているんだ」「現場を知らない人にはわからない」「経験してから言ってほしい」。言いたいことは、わからなくもありません。実際に経験してきたからこそ、わかることはあります。失敗した人にしか見えない落とし穴もあるし、長く現場にいた人だから気づけることもある。だから、経験を軽く扱うつもりはありません。むしろ、経験は大切です。ただし。経験年数が長いことと、その人の考えが正しいことは、別の話です。ここを混同すると、ちょっと厄介なことが起こります。今回は、経験がある人を批判したいわけでも、若い人や新しい考え方を無条件に持ち上げたいわけでもありません。人が自分の正しさを守ろうとするときの構造について考えてみます。

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経験は、正しさの証明書ではない

例えば、ある仕事の進め方について、AさんとBさんの意見が対立したとします。Aさんは、その仕事を20年続けてきたベテラン。Bさんは、まだ経験が浅いけれど、今までとは違う方法を提案しています。Aさんは言います。「今までこの方法でやってきた。だから、これが正しい」。さて、この主張は正しいのでしょうか。正確に言えば、まだ判断できません。20年間続けてきたことは、その人が多くの経験を積んできた証拠です。しかし、提案された方法が今の状況でも最適であることの証明にはなりません。20年前と今では、環境が違うかもしれない。お客さんの行動が変わっているかもしれない。技術や道具が進化しているかもしれない。もちろん、反対に、経験の浅いBさんの提案が現場を知らない机上の空論である可能性もあります。だからこそ、必要なのは経験年数による勝敗ではありません。考えるべきなのは、その方法は今の目的に合っているのか、その判断にはどんな根拠があるのか、別の方法と比べてどんな違いがあるのか。経験は、判断するための重要な材料です。でも、経験があるという理由だけで検討そのものを終わらせてしまったら、それは経験を活用しているのではなく、経験を使って議論を終わらせているのかもしれません。

ここからが、今回いちばん考えたいところです。AさんがBさんに「経験が浅いのに、自分の考えが正しいと思っているのはおかしい」と言い、Bさんが「経験が長いからといって、自分の考えが正しいと思うのもおかしい」と反論する。ここまでは、どちらにも一理あります。ところが、Bさんがさらに「自分は相手の考え方を否定している。だから、自分の考えのほうが正しい」と考え始めたら、どうでしょう。Aさんは「経験が長いこと」を理由に自分の考えを正当化し、Bさんは「相手の考え方を批判していること」を理由に自分の考えを正当化しています。使っている理由は違います。でも、考え方の構造は似ています。「自分の考えが正しいか」を検討する代わりに、「自分が正しいと思える理由」を探している。相手の問題点を見抜くことと、自分の正しさが証明されることは、同じではありません。相手に間違いがあったとしても、自分が正しいとは限らない。相手の矛盾を指摘したからといって、自分の矛盾が消えるわけでもありません。……人間って、なかなか面倒くさい生き物ですね。でも、僕も含めて、誰にでも起こり得ることだと思います。

人は、正しさよりも「自分」を守りたくなる

なぜ、こんなことが起こるのでしょうか。理由のひとつは、自分の考えと自分自身を、切り離せなくなってしまうことにあると思います。長年続けてきた仕事の方法や技術、今まで積み上げてきた実績や判断を否定される。そんなとき、人は単に「ひとつの方法に改善の余地がある」と受け取れないことがあります。「自分のやってきたことが否定された」「自分の価値を認めてもらえていない」と感じてしまう。すると、議論の目的が少しずつ変わっていきます。最初はよりよい方法を探していたはずなのに、いつの間にか、自分が間違っていないことを証明するために話している。相手の話を聞きながら、理解するためではなく、反論するための材料を探している。問題を解決するための議論が、自分の価値を守るための勝負に変わってしまう。そして厄介なのは、本人がその変化に気づきにくいことです。だからこそ、ときどき自分に問いかける必要があると思います。今、僕は本当に問題を解決しようとしているのか。それとも、自分が間違っていないと証明したいだけなのか。

この構造は、経験が浅い人にも、若い人にも、専門家にも起こります。「昔のやり方にこだわる人は、頭が固い」「新しいことを知らない人の意見には価値がない」「自分は客観的に見ているから、感情的な相手より正しい」。これらも、使い方によっては、相手の意見を検討しないための言い訳になります。新しい方法だから正しいわけではない。古い方法だから間違っているわけでもない。専門家の意見だから正しいとは限らないし、素人の意見だから間違っているとも限らない。もちろん、知識や経験の差を無視して全員の意見を同じ重さで扱えばいいという話でもありません。重要なのは、相手の属性だけで結論を決めないこと。そして、自分の属性だけで結論を決めないことです。

仕事の現場では、もっとわかりやすく表れる

例えば、ホームページの改善を提案したとします。今のホームページでは、利用者が必要な情報を見つけにくい。そのため、構成や導線を見直したほうがよい。そんな提案に対して、「このホームページは、何年もこれでやってきたから」という返事があったらどうでしょう。長年運用してきたことは無視すべきではありません。今まで問い合わせにつながっていた経緯や、実際のお客さんの反応も判断材料になります。しかし、「何年も使ってきた」という事実だけでは、現在の構成が最適であるとは判断できません。反対に、提案する側が最新のWeb知識を持っていたとしても、それだけで改善案が正しいとは限りません。ここで必要なのは、どちらが偉いかを決めることではなく、目的と根拠を確認することです。ホームページの目的は何か、現在どんな問い合わせが来ているのか、利用者は必要な情報を見つけられているのか、改善案によって何を変えたいのか、改善した結果をどうやって確かめるのか。こうした問いを立てれば、経験を尊重しながら、改善の可能性も検討できます。そもそも、仕事の目的は、会議で勝つことではないはずです。……ホームページの話をしていたはずなのに、いつの間にか「誰の意見を通すか選手権」が始まっている。こうなると、Webの改善より先に、話し合いの仕組みを改善したほうがよさそうです。

意見が対立したとき、僕が大切だと思うのは、相手を言い負かす方法を考える前に、判断するための基準をそろえることです。①目的を確認する。何を実現したいのか、そもそもの目的が違っていれば、意見がかみ合わないのも当然です。②事実と解釈を分ける。「問い合わせが減った」は事実かもしれませんが、「デザインが悪いからだ」はまだ仮説かもしれません。③判断の根拠を確認する。経験も大切な材料ですが、何が今回の状況に当てはまるのかを考えます。④間違っていた場合に修正できるようにする。試せることは試してみる。結果が違えば、判断を修正する。一度決めたことを変えないのが強さなのではなく、必要なときに判断を変えられることも、強さのひとつだと思います。

まとめ

自分の考えを疑うことは、自分を否定することではない、という点も誤解しないでほしいところです。根拠があるなら、自分の考えを主張すればいい。相手の意見に問題があるなら、きちんと指摘すればいい。ただし、その判断の根拠を自分でも説明できるようにしておきたい。そして、相手から新しい情報が出てきたときには、それを検討する余地を残しておく。「自分が間違っているかもしれない」と考えられることは、自分を否定することではありません。よりよい判断をするために、考える余地を残しておくことです。経験の価値は「自分は間違えない」と言えることではなく、「自分の判断をどう扱えばいいか」を知っていることにもあるはずです。

僕は、経験を積むこと自体は、とても大切だと思っています。経験がある人には、その人にしか語れないことがあります。経験が浅い人には、まだ当たり前になっていないからこそ見えることがあります。どちらにも、価値がある。ただし、経験の長さだけで判断を決めてしまえば、見えなかった問題を見落とすかもしれません。新しさだけを理由に過去を否定すれば、すでに積み上げられた知恵を捨ててしまうかもしれません。だからこそ、誰が正しいかを決める前に、何を実現したいのかを考える。そして、自分が間違っている可能性にも目を向けてみる。それができれば、意見の違いは、ただの対立ではなく、新しい視点を得る機会にもなります。経験は、相手を黙らせるためにあるんじゃない。自分の判断を、より確かなものにするためにある。これは僕自身にも向けた話です。人は責めずに、構造を見る。そして、その構造の中に自分も入っていないかを考える。人は責めない。でも、構造は切る。ただし、切った構造の中に自分がいたら、そこもちゃんと見直す。たぶん、それがいちばん難しい。

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