最近、特に身近になった道具がAIです。文章を書く、調べる、アイデアを出す、画像を作る、情報を整理する。いろいろなことができるようになりました。僕自身も使います。そして使っているからこそ、ちょっと気になることがあります。AIが作ったものでも、最後に使うのは人なんですよね。
AIかどうかだけでは、分からない
何かを見たときに「これはAIが作ったものです」「これは人が全部作りました」と言われることがあります。でも、それだけではそのものの良し悪しは分からないと思っています。何に使うのか、誰が使うのか、何を伝えるのか、どんな場面で使うのか。そちらのほうが僕は気になります。AIを使ったこと自体が目的になっていても、人が手で作ったこと自体が目的になっていても、少し違う。大事なのは、その先に何があるのかです。そして「作れる」と「使える」は違います。AIを使うと以前より簡単に形にできるものが増えました。でも文章が完成したからそのまま公開していいとは限らないし、画像ができたからそのまま使えばいいとも限らない。形になったあとに「これは本当に必要?」「誰に伝わる?」「変なところはない?」「実際に使える?」と考える必要があります。そこには、まだ人の仕事があります。
AIに任せるところと、人が考えるところ
AIが文章を書いたとしても、それを読むのは人です。商品説明をAIが作ったとしても、買うかどうかを決めるのは人。SNSの投稿をAIが作ったとしても、見た人が「ちょっと気になる」「自分には関係ないかな」「もう少し見てみよう」と判断します。だから僕は、AIを使っているかどうかよりも、その先にいる人のことを考えているかを気にします。AIに何でも任せればいいとは思いませんし、逆に「AIなんて使わないほうがいい」とも思いません。便利なら使えばいい。ただ、どこまで任せるのかを決めるのは人が考えたほうがいい。何を伝えたいのか、誰に伝えたいのか、何を大切にするのか、何を伝えないのか。こういう部分まで全部「いい感じにお願いします」と渡してしまうと、だんだん自分の仕事ではなくなってしまう気がします。AIは便利な道具だからこそ「何を任せないか」も考えておきたい。また「AIっぽい」という感覚だけで判断するのも少し違うと思っています。人が書いた文章でも似たような表現になることはあるし、AIを使っていても、その人の経験や考え方がきちんと入っていれば、その人らしいものになることもあります。「AIか、人間か」という二択より「誰が、何のために、どう使ったのか」のほうを見たい。そして最後に責任を持つのは人です。公開するのは人、使うと決めるのは人、実際に行動するのは人。「AIがそう言ったので」だけでは仕事としては終われません。AIが便利になればなるほど、ここはむしろ大事になるんじゃないかと思っています。
僕はAIを「考えるための道具」としても使いたい
僕の場合、AIは完成品を作ってもらうためだけのものではありません。自分の考えを整理する、別の視点を出してもらう、抜けているところを探す、言葉にしにくいことを整理する。そんな使い方もします。そうするとAIとのやり取りそのものが、自分の考えを見直す時間になったりします。答えをもらうというより、考えるための相手として使う。そんな使い方も面白いと思っています。
結局、僕が見ているのは「人」です。AIが作った文章も、画像も、整理した情報も、途中の道具です。その先には、読む人、買う人、使う人、判断する人、仕事をする人がいます。AIが作ったものでも、人が使う。だから、人のことを考える。それくらいシンプルに考えていていいんじゃないかな、と思っています。
