ペリカンの万年筆。書くことを急がないための道具

ペリカンの万年筆。書くことを急がないための道具

万年筆は、正直なところ、仕事を効率化する道具ではない。

ボールペンなら、キャップを外せばすぐ書ける。
油性ボールペンなら、多少雑に扱っても困らない。
スマートフォンなら、声で文字を入力することだってできる。

それなのに、僕はペリカンの万年筆を使う。

便利だから、という理由ではない。

むしろ、少し面倒だから使っている。

書く前に、少しだけ姿勢を整える。
紙にペン先を置く。
インクが紙の上を滑っていく。

その一連の時間が、考える速度を少しだけ落としてくれる。

そして最近は、この「少し遅くなること」が、案外大事なのではないかと思っている。

目次

速く書けることが、いいこととは限らない

仕事をしていると、どうしても「速さ」が評価される。

返信が早い。
制作が早い。
資料が早くできる。
判断が早い。

もちろん、速いことは大切だ。

僕自身も、仕事ではなるべく無駄を減らしたいと思っている。

ショートカットキーも使う。
キーボードも選ぶ。
モニターも見やすくする。
MacやiPhoneも使う。
AIも使う。

できるだけ、面倒な作業は減らしたい。

でも、全部を速くすればいいとは思っていない。

特に「考えること」まで速くしてしまうと、少しおかしくなる。

思いついたことをすぐ文章にする。

AIに文章を作ってもらう。

それを少し直して公開する。

たしかに速い。

でも、その文章は本当に自分が考えたことなのか。

そもそも、自分は何を考えていたのか。

そこが曖昧なまま、きれいな文章だけが出来上がってしまうことがある。

万年筆は、考える速度を少し遅くする

ペリカンの万年筆を使っていると、キーボードで入力するときとは少し感覚が違う。

文字を書く。

次の文字を書く。

一行進む。

紙の上に、少しずつ言葉が残っていく。

当然、キーボードより遅い。

だからこそ、頭の中にあることを、そのまま全部吐き出すのが難しい。

「本当にこれを書くのか」

「この言葉でいいのか」

そんな小さな確認が入る。

僕は、この確認が嫌いではない。

むしろ、今の時代だからこそ必要なのではないかと思っている。

書くことと入力することは、少し違う

パソコンで文章を書くとき、僕は「入力している」という感覚が強い。

キーボードを打つ。

文字が画面に表示される。

間違えたら消す。

順番を入れ替える。

コピーする。

貼り付ける。

書き直す。

ものすごく便利だ。

Webの仕事では、この便利さがなければ仕事にならない。

一方、紙に万年筆で書くと、少し違う。

書いた文字は、その場に残る。

簡単には入れ替えられない。

消すこともできない。

間違えたら、線を引く。

余白に書く。

矢印を引く。

あとから別の考えを足す。

つまり、思考の途中がそのまま残る。

これは、完成した文章を作るには不便かもしれない。

でも、考えを整理するには案外向いている。

きれいに書く必要はない

万年筆というと、「きれいな字を書くためのもの」というイメージもある。

僕は、そこにはあまり興味がない。

字がきれいかどうかより、何を書いたかのほうが大事だからだ。

むしろ、考えている途中の紙は、あまりきれいではない。

丸がある。

線がある。

矢印がある。

途中で別の話に飛んでいる。

「これ違う」と書いてある。

「あとで調べる」と書いてある。

そんな状態でいい。

というより、そういう状態だからこそ意味がある。

完成した文章だけを見れば、きれいに整理されている。

でも、その前には必ず「まだ整理されていない時間」がある。

僕は、その時間を大切にしたい。

Webサイトも、最初からきれいに作らない

これは、Webの仕事にもかなり近い。

Webサイトを作るとき、いきなりデザインを始めることがある。

トップページを作る。

写真を選ぶ。

色を決める。

見出しを考える。

ボタンを置く。

もちろん、それでもWebサイトは作れる。

でも、本当に考えなければならないのは、その前だ。

誰に見てほしいのか。

何を伝えるのか。

何をしてほしいのか。

どんな情報が必要なのか。

どこまで書けば十分なのか。

逆に、何を書かないのか。

それを決めないままデザインを始めると、あとから修正が増える。

ページは増える。

文章も増える。

メニューも増える。

そして、だんだん分かりにくくなる。

だから僕は、Webサイトを作る前に紙に書くことがある。

サイトマップを書いたり、ページの役割を書いたり、思いついたことを並べたりする。

きれいな資料を作るためではない。

自分の頭の中にあるものを、一度外に出すためだ。

万年筆は、情報を整理する道具でもある

僕にとって万年筆は、文字を書く道具であると同時に、考えを外に出す道具でもある。

頭の中だけで考えていると、いろいろなものが混ざる。

仕事のこと。

生活のこと。

やりたいこと。

不安なこと。

思いつき。

過去のこと。

これからのこと。

全部が同じ場所にある。

紙に書くと、それを一つずつ外に出せる。

書いてみて初めて、

「これは今やらなくていいな」

と気づくこともある。

逆に、

「これは意外と重要だな」

と分かることもある。

頭の中では同じ大きさに見えていたものが、紙の上に並べると違って見える。

これは、Webサイトの情報整理にもよく似ている。

情報は、並べてみないと重要度が分からない

Webサイトの相談を受けていると、

「伝えたいことがたくさんあります」

という話をよく聞く。

それは悪いことではない。

むしろ、伝えたいことがあるのはいいことだと思う。

問題は、それらが全部同じ強さになってしまうことだ。

一番伝えたいこと。

知ってほしいこと。

補足として必要なこと。

自分としては大切だけれど、初めて見る人にはまだ必要ないこと。

これらを全部同じように並べると、見る側は迷う。

だから整理する。

紙に書いてみる。

並べてみる。

順番を変えてみる。

必要なものと、今はいらないものを分ける。

そのあとで、初めてWebにする。

僕が「いきなり作らない」と言う理由は、ここにある。

道具は、考えるために使いたい

最近は、便利な道具が本当に増えた。

AIが文章を作ってくれる。

音声を文字にしてくれる。

写真を加工してくれる。

予定を管理してくれる。

情報を検索してくれる。

データを整理してくれる。

僕も使う。

便利なものは、便利に使えばいいと思っている。

ただし、道具に考えてもらうことと、道具を使って考えることは少し違う。

ここは意識しておきたい。

AIに答えを出してもらう。

それで終わりにするのではなく、

「自分は本当はどう思っているのか」

を考える。

そのために紙を使う。

万年筆を使う。

あるいは鉛筆でもいい。

ボールペンでもいい。

大事なのは、ペリカンを使うことではない。

道具との距離を、自分で決めることだ。

高価な道具を使えば、考えられるわけではない

ここは、道具が好きな僕自身にも言っておきたいところだ。

いい道具を持てば、いい仕事ができるわけではない。

高価な万年筆を買ったから、文章がうまくなるわけでもない。

高性能なMacを買ったから、仕事が整理されるわけでもない。

モニターを増やしたから、生産性が上がるとも限らない。

道具は、あくまで道具だ。

その人が何をしたいのか。

どんな環境で使うのか。

どんな仕事をしているのか。

そこが先にある。

これは、僕がWebサイトについて考えるときにも同じだ。

「何を使うか」より「何をするか」

WordPressがいい。

STUDIOがいい。

Shopifyがいい。

Instagramを使ったほうがいい。

LINE公式アカウントを作ったほうがいい。

AIを使ったほうがいい。

そういう話はたくさんある。

でも、本当はその前に、

「何をしたいのか」

がある。

目的が違えば、必要な道具も変わる。

場合によっては、使わないほうがいいことだってある。

僕は、道具が好きだからこそ、そのことを忘れないようにしている。

万年筆は「急がなくていい」と教えてくれる

仕事では、急ぐことも必要だ。

締切もある。

返信もしなければならない。

納期もある。

売上も考えなければならない。

だからこそ、全部を急がなくていい時間が必要になる。

万年筆で紙に文字を書く時間は、僕にとってその一つだ。

うまく書こうとしない。

きれいにまとめようとしない。

結論を急がない。

ただ、今考えていることを書いてみる。

そうすると、少しずつ見えてくる。

「自分はこれがやりたいんだな」

「これは今じゃないな」

「ここが引っかかっているんだな」

そんなことが分かる。

答えを出すためというより、答えが見えるところまで自分を連れていく。

それが、僕にとっての「書く」という行為なのかもしれない。

道具は、時間の使い方まで変える

道具を選ぶとき、機能だけを見てはいけないと思っている。

その道具を使うことで、自分の時間がどう変わるのか。

そこまで考えてみる。

キーボードは入力を速くする。

AIは作業を速くする。

スマートフォンは連絡を速くする。

そして万年筆は、逆に少し遅くする。

でも、その「遅さ」が必要な時間もある。

すべてを高速化した先に、必ずしもいい仕事があるわけではない。

速くするところと、あえて速くしないところ。

その両方を持っていたほうが、仕事は長く続けやすい。

道具に使われるのではなく、道具を使う

僕は、道具が好きだ。

新しいものを見るのも好きだし、使い比べるのも好きだ。

でも、最終的には道具そのものを集めたいわけではない。

その道具を使って、何をするのか。

そこが一番大事だ。

ペリカンの万年筆で書く。

ロディアに考えを出す。

Macで整理する。

AIに問いを投げる。

Webに形にする。

SNSで届ける。

必要なら、また紙に戻る。

道具には、それぞれ役割がある。

全部を一つで済ませようとしなくてもいい。

「便利」と「大切」は、同じではない

便利なものは、どんどん使えばいい。

でも、便利ではないものまで、全部なくす必要はない。

時間がかかる。

少し面倒。

手入れが必要。

そういうものの中にも、自分にとって大切なものがある。

機械式時計を毎日巻くこともそうだし、紙に書くこともそうだ。

効率だけで考えれば、もっと簡単な方法はいくらでもある。

それでも残したい。

そう思えるものがあることは、悪いことではないと思う。

今日も、少しだけ紙に書く

Webの仕事をしていると、毎日画面を見る。

メールを見る。

SNSを見る。

サイトを見る。

管理画面を見る。

AIを見る。

数字を見る。

だから、ときどき画面の外に出る。

机の上に紙を置く。

万年筆を持つ。

そして、まだ文章になっていないことを書く。

うまくなくていい。

まとまっていなくていい。

結論がなくてもいい。

書いているうちに、少しずつ形が見えてくる。

その形が見えてきたら、今度はデジタルの道具を使えばいい。

僕はその順番が、けっこう好きだ。

道具は、人生を代わりに考えてくれるものではない。

仕事を代わりに決めてくれるものでもない。

ただ、自分の考えを少しだけ前に進めてくれる。

その役割を、自分で分かって使う。

ペリカンの万年筆を使う理由も、たぶんそこにある。

速く書くためではない。

きれいに書くためでもない。

少しだけ立ち止まって、自分の考えていることを見るため。

便利になった今だからこそ、

あえて、急がない道具を一つ持っておく。

それくらいが、ちょうどいいのかもしれない。

おまつの道具箱では、これからも「いい道具」を紹介する。

ただし、スペックの話だけでは終わらせない。

その道具を、なぜ使うのか。

何が変わったのか。

逆に、何が変わらなかったのか。

そして、その道具がなくても本当は困らないのか。

そんなところまで、一緒に考えていきたいと思っている。

道具が主役なのではない。

使う人の仕事や生活が主役だ。

道具は、その横にある。

少しだけ、仕事を楽しくしてくれるものとして。

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